授業の上手な人、下手な人、現場には歴然といる。
 残念ながら、上手な人は少ない。
 下手はいい。一生懸命していればまだいい。
 酷い先生がいる。
 授業が始まっても、子供たちがだらだらしている。
 なかなか始められない。
 先生の注意叱責が始まる。
 悪いのは子供だと。

「教科書※ページを開きなさい」
 子供たちは、なかなか開かない。
「早くしなさい」
「まだ出していない人が・・・人います」
「みんなが待っているんです」
 この調子で授業が進んでいく。
 早くしている子は待たされたまま。
 遅い子供を注意叱責。
 空白だらけの授業。
 リズムもテンポもスピード感もあったものではない。

 こういう授業、初任の先生の話かというと、違う。
 普通の先生にも、このレベルの先生が山ほどいる。

 授業を見ていて、退屈になる。見ていられない。

 上手な先生は、この逆である。
「教科書※ページを開きなさい」
 子供たちは、次々に「開きました」と声を上げる。
「1番、2番、・・・」
「早くなったね」
「成長したね」
「早い子は賢い」
「立派です」
 先生は、プラス評価をしていく。
 子供たちは、さっと動くことをほめられ、それが心地よくなる。
 授業は、ぱっぱと進んでいく。
 空白の時間は限りなく少ない。

 授業の善し悪しの一つの基準は、スピード感である。